2022.03No.153(オンラインNo.35)

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★退任教員挨拶

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もくじ

Chapter1走り続けた25年

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情報・知能工学系 教授
石田 好輝(いしだ よしてる)

京都、奈良と関西から、日本の技術科学教育の最高峰、本学へ移り、気が付いたら25年がたち定年を迎えます。少年時代から人工知能の研究を目指し55年、いまだ入口にさえ立てていない気持ちです。思えば、数理工学での取り組みから、システム科学のアプローチに転換し、さらに生命に学んだ複雑系のアプローチで免疫系に基づくAIをサンタフェ研究所で研究していた時、本学の知識情報工学系(旧7系)にご縁をいただきました。再編後は情報・知能工学系(現3系)として情報工学系(旧4系)も含めより多くの教員、学生さんとご一緒できる機会に恵まれました。この25年は振り返れば、同僚の研究者、研究室の学生、高専連携プロジェクトでの高専の教員、学生さんなどと一緒に走った、というより、進歩の早い情報技術になんとかついていこうとした25年です。最近は足を引っ張ってばかりなので、また基礎、理論、思考実験にもどって離散系科学も視野におき、多様性と安定性に軸を置いた研究を行っていこうと愚考しております。

振り返れば、この25年間やってこられたのは、本当に同僚教員、事務方職員、とくに学生さんには教えることより学んだことのほうが多く、感謝と尊敬の念しかありません。 高専連携プロジェクトで多くの高専教員や高専学生さ
んと「ネットワーク衛星工房」、SSHで高校教員や学生さんと「ダイアグラム視覚化道場」を行う機会を得ました。衛星・宇宙分野は今後の日本産業の再興のキーになりうる分野で、センサー技術、AI技術、自律ロボット技術など総動員して行うべき分野であると今でも信じています。「ダイアグラム視覚化道場」は理系離れの進む少子化世代に、離散系科学の重要性をまさに視覚的に体得してもらいたいと行いました。これらはSystems Ai研究室(旧 システム科学研究室)の学生さんと一緒に、また当研究室の初代助手、渡辺助手、2代目の原田助教の助けをかり2人3脚ならぬ5人6脚で行いました。一緒に行った学生さんも今では高専や大学、企業で活躍されており、当方もご一緒できたことは光栄であり感謝の気持ちで一杯です。

国際的には、本学着任以前はCMUなど米国の研究者と研究が多かったのですが、本学着任後は、UKの研究者と毎年、国際会議で特別セッションを行ったり、ドイツのTUDの研究者と共同プロジェクトを行ったり、ベトナムやインドネシアの博士課程、修士課程の留学生と共同研究を行ったり、国際会議ICAICTAへ参加する機会もいただきました。

現在、世界を席巻するAI技術は神経系に学んだAIですが、当方がまだ入り口にすら立てていない免疫系に学んだAIは多様性と共生に基づくものです。(詳細は、拙著 Immunity-Based SystemsとSelf-Repair Networks)対比的に述べると、どちらが優れているかという議論に陥りやすいのですが、生物個体でみるように脳神経系と免疫系は異なる役割をもちつつ、個体の生存のために互いに欠くべからざる相互依存のシステムです。

いままさに地球、世界、情報技術科学の転換点です。コロナパンデミックやデジタル化はそれを一層加速しています。本学が技術科学研究教育のさらなる拠点となることを信じております。みなさんのご多幸とご活躍を祈っております。

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SSHダイヤグラム視覚化道場 (2015年9月4日)
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研究室卒業生らによる記念パーティ(2017年12月16日)
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研究室メンバーとゼミ室にて (2020年9月4日)
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帰国する研究室留学生とF棟前にて (2021年9月)

Chapter2有機化学の射程

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応用化学・生命工学系 教授
岩佐 精二(いわさ せいじ)

2022年3月末日の定年退職の区切りに際し、多くの俊英と巡り合い、支えられて研究と教育に携わることができたことを、この場をお借りして感謝を申し上げます。

振り返ると、学位を取得後、オハイオ州立大学で若き俊英、Prof. V. H. Rawal先生と天然物合成研究を共にし、その後、シカゴ大学からのオファーを受け一緒にシカゴに移りました。気がついたら合わせて5年弱がすぎていました。さらに野依良治先生からオファーをいただきERATOプロジェクトに参画しました。プロジェクト終了後、1997年末に本学に着任し西山久雄先生と共に分子触媒の研究と研究室運営を進めてきました。本学に着任後、多くの国内外の教員、研究者、学生、事務の方々の誠意と支援を得て有機化学分野の研究と教育を微力ながら推進することができました。感謝を申し上げます。

基礎研究では医薬品や農薬の合成に重要な新規の分子触媒(Ru-Pheox)を創出し、市販されるに至り、また国内外の企業や大学研究者によって利用され論文や特許に発表されるようになりました。応用研究ではELISA法とイムノクロマト法による残留農薬検査キットの開発(知の拠点、愛知県)、天然物関連ではベトナムの樹木からの抽出、精製 (AUN-SeedNet、JICA)などでいずれも工業化することができました。教育、人材育成分野ではJENESYS2009-2010、さくらサイエンスプロジェクト、生命環境工学技術者育成プログラム、エレクトロニクス先端融合技術若手研究者育成プログラムなどのプロジェクトを通じて科学への知的好奇心や自己実現に向けた一助となればと思い実施に関与させていただきました。また国際交流の観点からは、研究室には多くの留学生が配属され研究を推進してくれて感謝いたします。同時に研究室から先方の大学や研究機関と交流協定を締結し、インターンシップやセミナー開催の際に受け入れていただき感謝いたします。30年以上前のアメリカでの経験や着任してからの交流が今も継続していることを嬉しく思います。震災で原子炉が破壊された時、海外からの移住の打診は心に響くものがありました。

専門分野の有機化学は、研究課題の創造と実践においてその射程は、環境科学、農芸科学、センサー技術、分子生物学、抗体工学などの広汎な分野に関与できると認識するようになりました。一方でビッグデータは整いつつありますが、特に有機合成におけるAI化は遅々として進んでいない現況があります。なぜなら失敗したデータは世に出ないからです。情報がないのです。負の情報は、ほぼ完全に沈黙し、情報として問われる機会がほとんどありません。今後、情報革命の推進力を利用して時代と共に進化していくことを期待しています。

今思うことは、私には特に人的ネットワークがありませんでしたし、求めてもいませんでしたが国境や人種を超えて行く先々で卓越した英知や科学哲学との邂逅は、僥倖としか言いようがありませんでした。

最後に、COVID-19パンデミックの中、その収束に予断を許さない現況ではありますが出現した環境はリアルであり受け入れ、対応していくしかありません。この時、あらゆる階層で技術科学の力が問われます。皆様におかれましては益々のご活躍を祈念しております。

ありがとうございました。

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Prof.Rawal先生を招待
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ラオス国立大学にて
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フエ医科薬科大学にて記念公演
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ベトナム国家大学でTED-Talksを真似て

Chapter3大学人からの卒業にあたって

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総合教育院准教授
吉村 弓子(よしむら ゆみこ

1987(昭和62)年9月、留学生の日本語教育を担当する新しいポストに着任しました。それから約35年間、学内での所属はいろいろと変わりましたが、一貫して留学生の日本語教育と全学生の教養教育に携わり、それに関連する研究を行ってきました。

着任当時の技科大は3学期制をとっていて、9月1日が第2学期の開始でした。早速、週に5コマほどの教室を開いて、実際に教えながら留学生のレベルやニーズを見極めていくとともに、全留学生に対して日本語授業内容の希望についてアンケート調査を実施しました。学年は学部1年生から博士課程にまでわたっていて、20歳~35歳と年齢幅もあり、出身も漢字圏と非漢字圏がありました。授業内容の希望も多様で、日常会話から作文、漢字、レポート作成、専門書講読、新聞講読にまで渡っていました。工学の学習・研究のための必要性を基準として翌年度のカリキュラムに組み込みました。盛り込めなかった内容の学習や授業に参加しにくい学生に対しては、自習室の視聴覚教材を充実させました。

初めに所属した語学センターは、やはり印象深いものです。英語、ドイツ語、フランス語などの教員を合わせて5人程度の小さな所帯でしたが、歴とした省令センターで、毎年シンポジウムや講演を開催していました。私も着任早々、日本語教育に関するシンポジウムを企画しました。様々な語学の教員が協力して企画・運営するところがユニークであるため、全国の外国語教育関係者が毎年参加してくださり、蒲郡荘に1泊して2日間開催するまでに発展しました。テーマや講演者の選定から、開催のお知らせ、参加者の部屋割り、当日の進行までタスク満載でしたが、より良い外国語教育を模索した情熱を懐かしく思います。そういえばメールもWebもなかった時代、連絡手段は郵便と電話しかなく、時間もお金もかかったものでした。

全学生に対する教養教育では、特に日本人学生に必要と思われるテーマを取り上げました。英語学習法、小論文、日本語の多様性、日本文化、日本映画、異文化コミュニケーションなどです。授業を通して痛感したのは、学生同士で学び合うことの重要性です。専門用語で「協働学習、協同学習(collaborative learning, cooperative learning)といいます。たとえば、日本人学生と留学生を混ぜたグループでディスカッションする、授業外の留学生に日本語学習の経験をインタビューする、海外の日本語学習者とメール交換するなどの活動を導入したところ、教科書や教師からの一方的な知識提供よりも深く納得する様子が見て取れました。メール交換では、自分の文化と相手の文化への理解が深まり、文章表現自体も上達しました。この成果は海外での学会発表という実を結びました。

晩年は変形性股関節症を患ったため思うように活動できなくなりましたが、私を先生と呼んでくれる学生さんたちの存在が私のプライドを支えてくれました。また、最後の2年間は留学生が入国できなかったり、対面の授業が難しくなったりしましたが、オンライン授業という新たな技術に助けられて何とか業(わざ)を終えることができそうです。

教職員、学生、卒業生の皆様が国内外のどこにあっても、健康と幸福が守られますようお祈りいたします。



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授業風景(1990年ごろ)
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マレーシアでの卒業生との再会(1995年7月23日)
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留学生との京都旅行(2000年3月10日)
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オーストラリアでの学会発表(2005年7月)

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