2021.03No.151(オンラインNo.33)

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★退任教員挨拶

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もくじ

Chapter1長いようで短かった14年間

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電気・電子情報工学系教授
櫻井 庸司(さくらい ようじ

 縁あってNTT研究所の研究員から転身し、電気・電子工学系(当時)の教授として着任したのが2007年4月。早いものでそれから14年が経過し、今年度末に定年退職を迎えようとしています。

 この間色々なことがありましたが、着任当初の研究室立ち上げ時のことが今も鮮明に思い起こされます。研究室名を「クリーンエネルギー変換研究室」と定め、"地球環境に優しく、世の中の役に立つ、新しい電池技術を共に創出しよう!!"という研究室のモットーに惹かれて(?)研究室に入ってきた4名の学部4年生とともに、実験室環境構築からスタートしました。初年度は資金繰りも重要案件で、共同研究・奨学寄附金・資産(実験装置・備品)寄附の調達と科研費獲得に向けた申請書作成も並行して行う必要があり、目まぐるしく時が過ぎていきました。幸いにも2年目以降現在まで、科研費等の競争的外部資金と企業との共同研究を途切れなく受け入れて研究も軌道に乗りましたが、その原動力は研究室のモットーに共感してくれた学生達の努力・研究成果によるもので、感謝に堪えません。

 着任当初は、社会問題化しつつあったリチウムイオン電池の発熱・発火を防ぐための電池高安全化技術開発を中核とし、燃料電池の低コスト化に向けた触媒材料の研究も行っていました。後者の研究は、初代助教・千坂光陽先生(2008.4~2012.3;現、弘前大学准教授)の転出を機にテーマ移管しました。その後は、2011年4月の准教授昇任に合わせて研究室に合流して頂いた稲田亮史先生の卓越した研究推進力で、究極的な超安全電池である酸化物系全固体電池の研究もコアテーマに据えて研究を展開しています。更に、2代目助教・東城友都先生(2014.4~2018.8;現、静岡理工科大学講師;2021年4月から准教授)の強力なサポートのもと、ポスト・リチウムイオン電池としてのカルシウムイオン電池用新材料の研究と、本質的な電極材料特性を評価するための新規単一粒子測定法の開発を推進することとし、現在に至っております。特定テーマの深堀で社会実装にまで繋げるには至りませんでしたが、共同研究も含めて各々のテーマでそれなりの成果がこれまで得られたのは幸いです。これもひとえに、優秀な教員スタッフと数々の失敗にもめげずに粘り強く実験を重ねてくれた学生諸君の努力の賜物であり、只々感謝の一言です。

 研究室活動以外で力を注いだものとして、電池技術に関する振興・普及啓蒙活動があります。例として、電気化学会電池技術委員会の役員には前職も含め通算17年間在任し、その主催イベントである電池関係の国内最大学会(電池討論会)などを通して、我が国の電池技術・研究の発展に尽くしました。

 長いようで短かった14年間の充実した技科大教員生活、今年度末をもって教育・研究の第一線を退くことにはなりますが、定年退職後も本学非常勤講師に加えてNEDO技術委員とJSTアドバイザーの委嘱を受けており、これからも最新情報収集を心掛けて参ります。

 最後になりましたが、在任中大変お世話になった教職員の皆様方に深く感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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追いコン集合写真(2020年2月21日)
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研究室恒例のボーリング大会(2015年12月2日)
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実験設備が不十分な実験室にて、櫻井研第1期生とともに(2008年8月1日)
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新歓集合写真(2018年4月18日)

Chapter2デスバレーの克服を目指して

総合教育院 教授
藤原 孝男(ふじわら たかお)

 1998年に赴任して以来23年間、経営学の教員として本学にお世話になりました。赴任当時は経営学と経済学の違いも分からない人が多く戸惑いました。大学院時代の恩師が機械工学から経営学に転向された影響を受け、工学と経営学の融合の必要性と、トップマネジメントによる戦略だけでなく当時としては先駆的な「現場」の重要性を若い時代に学んだように思います。また、恩師自体も本学初期に非常勤講師をしておられ、院生時に大学の雰囲気について聞いていました。

 赴任当時は、人文・社会工学系計画・経営講座にて山口誠先生、宮田譲先生など全て経済学の諸先生が数式を用いて研究・教育をされており、米国から持ち帰った資料を整理しながら定性的な研究を少しずつまとめようとしていた身には、カルチャーショックを感じました。また、国際会議発表・英語論文・科研費申請なども工学流の新鮮な価値観として映り、情報非対称な中でゲームのルールが変わったように思いましたが、「時すでに遅し」という状況でした。2年ほど前に敬愛していた宮田先生が退職前に亡くなられた時には、暫く心に大きな穴が空いた気がしました。

 研究としては、1987-89年に米国留学した際の恩師の勧めで、日本でデータを含めて構想していたソフトウエアの生産管理から、バイオベンチャーにテーマを変え、多くのバイオベンチャーが赤字でも長期間存続できる不思議さに興味を惹かれました。恩師はその後、スイスのローザンヌの大学に移られましたが、数年前に現地で先生ご夫妻と再会しました。留学当時、Japan as Number Oneと騒がれていた時代に、恩師は米国の基礎研究力とベンチャーの重要性を強調し、米国の国際競争力は日本に負けることはないと断言しておられました。また、当時から恩師は日本よりも中国に関心を持ち中国語をウォークマンで勉強していました。赴任後は、バイオベンチャーの創業初期の赤字期間をデスバレー(死の谷)と呼びますが、これを克服するために金融工学のリアルオプションと、大企業との提携にゲーム理論、そしてベンチャーと投資家との情報非対称の削減のためにベイジアンMcMCの応用に関心を持ってきました。

 その研究過程でインドのトップスクールのインド理科大学(IISc)の前学科長とも親しくなり、JSTさくらサイエンス、JSPS-ICSSR二国間セミナー、スズキ財団によるポスドク招聘、MOU締結、日本人学生のIISc派遣などが実現しました。また、JSPS 外国人特別研究員サマープログラムにてTechnical University of Hamburg-Harburg から Mr. Christian Müller、Leeds University Business School から Mr. Lutz Alexander Bruscheを各2ヶ月間、博士後期課程院生として指導しました。さらに、主に留学生や社会人の博士前期・後期課程院生をゼミ生として一緒に勉強できたことが至福の思い出です。

 コロナ禍の中、健康に留意され、皆様方の今後益々のご活躍を心からお祈り致します。

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さくらサイエンスでIIScの院生とEIIRISにて(2018年1月22日)
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JSPS-ISCCR二国間セミナーでIIScにて(2017年5月27日)
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MD. Nur-Al-Ahad氏の修士号取得(2020年3月23日)
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Nyein Nyein Ayeさんの博士号取得(2020年9月24日)

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