2016.10No.142(オンラインNo.24)開学40周年記念特集号

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巻頭言

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もくじ

Chapter140周年を技術科学の国際化への飛躍台へ

学長
大西 隆(おおにし たかし)

学長 大西 隆豊橋技術科学大学は、2016年10月に開学40周年を迎えました。多くの方々のご尽力とご支援のお陰であり、お礼を申し上げます。本学は工学系大学の一つですが、高等専門学校からの多数の編入生を3年次に受けて入れているという点でユニークな存在です。全国には、57の高専があり、毎年1万人以上の卒業生がいます。このうち約360人が本学に編入学します。また、普通高校と工業高校から、合わせて80人が1年次に入学しています。これらの学生諸君の多くは博士前期課程、さらに博士後期課程まで進学します。技術科学分野の教育・研究機関として、輩出する人材と研究成果を通じて、科学技術立国を国是とする我が国の発展に寄与してきたと自負しています。40周年を迎えて、本学の卒業生は、産業界の技術開発分野で大きな役割を果たすとともに、本学をはじめとする大学や各地の高専等の教育・研究機関で教員や研究者となり、さらに企業や行政等の社会の様々な分野で活躍しています。

このような成果が得られたのは、本学が広義のモノづくりに適用する技術を科学的に探究して、技術の有用性に関する知識を深めることを通じて、その応用、改善、革新を進める技術科学において多くの実績を上げてきたからです。具体的には、機械、電気、情報、物質、生命、建設、環境といった多様な分野で技術科学の研究を深め、その成果を社会に還元するとともに、最先端の教育カリキュラムに取り入れてきました。

こうした活動の成果は、本学の技術科学的アプローチに対して、種々の競争的な資金が与えられるという形で表れています。30周年から40周年の10年間で、本学は文部科学省が進める4つの教育・研究の推進に関する事業に採択されました。2012年に採択されたのが、国立大学改革強化推進事業です。ここでは、長岡技術科学大学、国立高等専門学校機構とともに、国際化とイノベーションをテーマに3機関の連携を強めてきました。2013年には、研究大学強化促進事業と博士課程教育リーディングプログラムに採択されました。前者は全国の国公私立大学から19校が選ばれたもので本学の研究実績が高く評価された結果です。後者は、21世紀COEやグローバルCOEの実績が評価され、「脳科学」の分野での博士課程教育プログラムを実施することになりました。更に、2014年には、大学の国際化を進めるためのスーパーグローバル大学創成支援事業に採択されたのです。これらは5年から10年の期間で国からの補助金などの支援を受けるプログラムであり、長いものは、今年から始まる第3期中期目標・中期計画期間を通して継続します。

これらに、加えて、今年度からは、産業界など外部機関との共同研究を推進するために、学内に研究組織として技術科学イノベーション研究機構を発足させました。機構は、本学の研究者と、外部機関の研究者がそれぞれの研究蓄積や研究資源を持ち寄って協働して研究を進めようという構想の下で生み出されたものです。これらのプログラムを推進しながら、本学が現在もっとも力を入れているテーマは、「国際化」です。これは、日本のすべての大学の課題ともなっています。日本人の18歳人口が減少する中で、留学生の増加を図るという狙いもありますが、より重要なのは、日本で行う教育や研究が正当に評価されるためには、国際的な舞台で、その質の高さを示していくことが不可欠という点です。そのためには、国際的な共通語になっている英語をカリキュラムや研究成果の相当部分で活用することが必要となります。本学では、これまでの事業で手掛けてきた国際化促進の諸活動をさらに発展させて、各国の若者に、本学のカリキュラムや研究内容を評価してもらい、本学で学ぶことへの関心を高めてもらいたいと考えています。

開学40周年が、本学にとって、その国際的な展開の飛躍台となることを目指しています。引き続きご支援くださいますようお願いいたします。

(豊橋技術科学大学四十年史 世界に開かれた技術科学より転載)

Chapter2未来に向けて挑戦を続けた10年間

前学長
榊 佳之(さかき よしゆき)

前学長 榊 佳之豊橋技術科学大学(以下、技科大)が40周年を迎えますこと、関係者の一人として大変にうれしく存じます。私は30周年の2年後に西永学長(当時)からバトンを受け継ぎ、2年前に大西現学長にバトンタッチするまでの6年間、学長として全力疾走した充実感を感じています。以下、直近の10年を懐かしく振り返りたいと思います。

まず技科大の歴史を10年単位で簡潔に振り返りますと
0)開設へ向けた地元の方々の熱心な誘致活動の「大きな夢の時代」
1)大学の組織、体制を整え、技科大の基礎を築いた「成長の時代」
2)新学科開設、産官学連携や国際交流の拠点設立など活発に展開した「飛躍の時代」
3)国立大学が法人化され、法人としての発展の基礎を築いた「激動と変革の時代」
と各々特色付けられます。そして直近の10年間は、
4)リーマンショックや東日本大震災など不安定な社会情勢の中、また文部科学省が国立大学改革を掲げる中、数々の挑戦を行い、技科大の次の飛躍への礎を築き、未来への新たな途を拓いた「未来への挑戦の時代」と言えます。以下、いくつかの特記事項を振り返ります。

エレクトロニクス先端融合研究所の設立と研究大学強化促進事業への採択
2010年の「エレクトロニクス先端融合研究所(EIIRIS)」の設立は技科大の新しい時代への発展を象徴するものです。開学当時に他の国立大学工学部にない特色ある施設として開設された半導体プロセス施設が西永学長時代に21世紀COE、グローバルCOEの拠点として採択され、大きく発展、優れた成果を挙げて本学の「旗艦」とも言うべきEIIRISの設立に繋がりました。
新設のEIIRISでは本学が誇るセンサーチップ技術などの先端技術とテニュアトラック制度で採用した脳科学など異分野の若手研究者の先端領域が融合する新しい異分野融合研究が展開され、その実績を基にEIIRISを研究特区として技科大の先端的研究を統合する「価値創造工学」の提案が「研究大学強化促進事業」として採択されるに至りました。この事業で採択された「研究大学」は東大、京大などわずか22大学、技科大の実力を全国に知らしめました。これら一連の展開は長年にわたる教職員の努力が結実したものですが、その中核となったのは開学以来半導体プロセス施設を育ててきた石田誠副学長でした。

ペナンの海外教育拠点の開設とスーパーグローバル大学創成支援事業への採択
文科省が推進する国立大学改革強化推進事業の中で技科大・長岡技科大・高専機構が連携・提案した教育改革事業が採択され、その一環として技科大は2014年にグローバル人材育成拠点としてマレーシア・ペナンに海外教育拠点を開設しました。国立大学としては初めての海外教育拠点ですが、この拠点開設に至るまでには技科大の教職員がこれまでの海外教育支援事業で培った多くの人脈、実績が大きな力となりましたが、それに加えて井上光輝副学長の強いリーダーシップがありました。このペナンの教育拠点は技科大生の海外インターンシップの他、マレーシア・ASEAN各国の大学との交流拠点ともなり、活発な国際展開を始めました。その実績が認められて2015年には大西学長のもとで「スーパーグローバル大学創成支援事業」に採択され、技科大のグローバル展開は更なる飛躍を遂げつつあります。

リーダー的人材の育成とリーディング大学院
平成22年度に始まる第2期中期目標・中期計画に合わせて、学問の細分化ではなく統合化を目指して、従来の8課程を日本の基幹産業を支える先端技術分野3課程と持続的発展社会へ向けた先導技術分野2課程に再編しました。また、これからの社会ではリーダー的資質を持った人材が求められることを踏まえ、「特別推薦入試制度」の導入、企業の協力を得ての「テーラーメイド・バトンゾーン教育」と「プレステージレクチャー」などリーダー的人材の育成を目指す特色ある取り組みが行われました。中でも特筆すべきはノーベル賞受賞の益川敏夫先生、大村智先生、リチウムイオン電池の吉野彰博士、張富士夫トヨタ会長(当時)、三村明夫新日鉄会長(当時)等々、わが国を牽引してきた超一流の科学者、先端技術研究者、財界のリーダーなど30余名の方々が次の時代を担う大学院生のために「講義」をして下さったことです。このような方々との繋がりは学生ばかりでなく技科大にとって貴重な財産となっています。
これらのリーダー育成事業の実績やEIIRISの融合研究が土台となって、技科大は2014年に「リーディング大学院」事業に採択されました。その提案は21世紀のフロンティアと言われる脳科学に挑むエンジニアの育成を目指す意欲的なもので、技科大のリーダー人材の養成は更に大きく展開しております。この事業の採択には中内茂樹教授の貢献が大でした。

地域連携、産学連携
技科大は開学以来、地域、とりわけ地域産業と深く関わり、産学連携を推進してきました。直近の10年もその伝統を継承し、地域連携の中核として社会連携推進本部を設置し、そのもとで社会の諸課題に対応する各種のリサーチセンターが連携しながら地域社会へ様々な貢献をしてきました。その中でも西永学長のもとでの30周年記念事業として豊橋信用金庫など地元の5つの信用金庫の寄付で設立された「先端農業・バイオリサーチセンター」の活動は特筆すべきものでした。工学と融合した新しい農業の開拓を目指す三枝正彦特任教授の精力的な取り組みによって地域に新しい風を起こし、多くの意欲的な人材を養成、輩出し、東三河の農業に多大な貢献と意識変革をもたらしました。

小さな巨人
振り返ると実に様々な挑戦をした10年でしたが、それを可能にしたのは流行に流されることなく努力を積み重ねてこられた先生方の見識と実績でした。EIIRISの半導体施設を見学された文化勲章受章の末松安晴先生が「これは無形文化財だ」と言われたように、技科大には容易に他の追従を許さない文化があると感じます。それとともに事務局の熱意は大きな力であったと感じます。歴代の事務局長とともに、技科大で育ち、技科大を愛してやまない事務職員の方々の献身的な仕事ぶりは実に見事でした。これは技科大の財産です。私はこのような技科大を「小さな巨人」と呼びたいと思います。
技科大がここ10年に築いた新しい礎、新しい途をもとに来るべき50周年に向けてさらに大きな発展を遂げることを祈念しています。

(豊橋技術科学大学四十年史 世界に開かれた技術科学より転載)

Chapter3未来を拓く本学40周年の使命

特別顧問
神野 信郎(かみの のぶお)

特別顧問 神野 信郎平成28年、国立大学法人豊橋技術科学大学は開学40周年を迎えられました。実践的・創造的能力を備えた指導的技術者の養成というニーズに応えるため、技術科学の教育・研究を行い、これまで多くの技術者・研究者を輩出するとともに、研究、技術開発、産学連携等を通じて社会に貢献され、当地域に根付いたすばらしい大学に成長されましたことをお慶び申し上げます。

戦時中の豊橋市は軍都、蚕都でありましたが、戦後、港湾・臨海工業都市へと脱皮を図ろうと、「地域づくりは、まず人づくり」という考えのもと、終戦直後の昭和21年、中部地区初の法文系大学である愛知大学の誘致に成功。次は技術系大学をと、長期戦略を練っておりました。今から52年前の昭和39年、私が豊橋青年会議所理事長であった当時、「これからの豊橋に何が必要か」を問う市民アンケートを行ったところ、技術系大学の設立に対する要望が明確になりました。私はその後、昭和40~41年に日本青年会議所副会頭、昭和43年に会頭に就任しましたが、その間の4~5年で豊橋青年会議所のメンバーが力を尽くし、豊橋に立派な大学をつくろうということで、昭和45年に「豊橋を新しい頭脳産業都市の中核とする八つの提言」が発表されました。初代学長となる榊 米一郎先生にお目にかかったのは、この提言を発表した名古屋での青年会議所全国大会でありました。榊先生は、全国高等専門学校の上に大学をという熱望を共に実現するという共同理念のもと、大変大きな力を発揮していただきました。その後、誘致活動は豊橋青年会議所と共に豊橋商工会議所が主体となり、昭和48年に豊橋に技術系大学を誘致する推進母体となる「技術科学大学院誘致推進協議会」が発足しました。当時は大学紛争の時代であり、大学誘致反対の意見も強くありましたが、豊橋青年会議所のメンバーは研究や市民集会を繰り返し、また後に文部大臣となられる永井道雄先生、自民党文教関係の若い議員の方々のご協力を得て、本学の設置が実現することとなりました。

本学の成長や在り方は、期待どおりでした。私が会頭であった期間に、本学を応援するための支援態勢をつくるべく、大学院の学生が系ごとに1人ずつ外国へ勉強に行く制度を創設しました。同時に、大学を直接応援するだけではなく、それを全面的にバックアップするため、社団法人東三河地域研究センター(現公益社団法人)と財団法人東海産業技術振興財団(現一般財団法人)という団体をつくり、基金を集めました。また、研究所の集積を目的として、豊橋市の支援により株式会社サイエンス・クリエイトが設立されました。このような環境のもと、本学の先生方は様々な企業に駐留し、その会社の技術開発に大きく貢献いただきました。

私は、昭和57年4月から参与として18年間、平成12年4月から運営諮問会議委員として4年間、平成16年4月から理事(地域・産学官連携担当)として4年間、平成20年4月から特別顧問として現在に至るまで、本学の運営に参画してまいりました。平成23年11月、大学誘致活動への取り組みと誘致の実現、また、長きに亘り大学の教育発展、運営に携わったことが評価され、本学開学35周年記念式典にて、榊 佳之前学長より「名誉博士」の称号を授与されましたことは、身に余る光栄であると、心から感謝しております。

本学は、昨年、全国の37国公私立大学のひとつとしてスーパーグローバル大学創成支援事業の対象校に選ばれ、より大胆な国際化に踏み出しました。今、まさにグローバルな世界の中、地球全体の次代を担う学生たちには、自分の考えに基づき、ものごとを判断し、次代を切り拓いていくリーダーとしての資質が求められています。グローバル教育により、コミュニケーション能力を備えたグローバル人材をいかに創り上げていくかが本学の今後の課題であると考えます。新しい技術や価値観をいち早く自身で吸収し、世界の流れを感じ、新しい時代に貢献できる技術を開拓し、さらに新しい技術を創り上げていくことがこれからは非常に大切です。大西学長が今年発表された大西プラン及び大学憲章では、高専教育・グローバル教育事業の実施、海外教育拠点(ペナン校)を拠点とする海外実務訓練の実施、イノベーション思考人材育成事業の実施という大変大きな課題を掲げておられます。本学が東三河はもとより、世界と日本の「知の拠点」として大きく羽ばたくよう、今後もお手伝いさせていただければと考えております。

(豊橋技術科学大学四十年史 世界に開かれた技術科学より転載)

Chapter4この十年を振り返って

特別顧問
石田 誠(いしだ まこと)

特別顧問 石田 誠今年で40年の歴史をもつ大学となり、開学当初から振り返ると、感慨深いものがあります。私も今年の3月で37年間の本学での勤めを終え、定年退職となりました。4月から特別顧問の職を拝命し、微力でも大学の発展に貢献できればと思っています。
10年前の平成18年(2006年)は、これまでにない大学間の競争を引き起こした文部科学省の「トップ30大学構想」の流れを受けた「世界的な研究教育拠点形成」を築く、21世紀COEプログラム(本学2件採択、複数採択校:18大学)の最終年であった。そして翌年の平成19年に採択件数を半数にし、予算倍増とするグローバルCOE(GCOE)の募集が始まった。西永学長の最後の年である。21世紀COEの中間評価は中間レベルであったが、GCOEの採択に向けた学長のリーダーシップが発揮され、情報、電気・電子分野では13大学の一つに採択された。東海・北陸地区では本学のみと厳しい競争であった。幸いにも、このGCOEの中間評価は大変良く、終了後の平成23年から2年間は学生への経済支援予算を継続できることとなった。
法人化後(平成16年)、国立大学は6年間の中期目標・中期計画を策定し、評価を受けることとなった。第2期中期目標・中期計画は平成22年(2010年)からで榊佳之前学長の時である。GCOEの終了後、平成24年に本学で初めての研究所を設立するという野心的な中期計画を策定した。研究所は、学長の構想にあったもので、当初計画より2年早く(平成22年10月)設立できた。これは、先端研究棟が特別補正予算(麻生政権の最後)で設置されたからで、エレクトロニクス先端融合研究所(EIIRIS)の誕生である。
文部科学省は、様々な社会からの要請を受け、大学改革をより一層進めるために、COEに並ぶ、大学間の競争プログラムを次々に提案している。本学のような小さな大学は、対応する人材に限りがあるので、選択も重要です。平成25年(2013)に始まった研究大学強化促進事業(平成25~34年度)はこれまでと違って、文科省からのトップダウンにより27の申請機関が選ばれ、それから申請書の提出とヒアリングがなされた。そのトップダウン方式は、文科省の把握している各大学の10項目からなる研究に関するデータから選考された。例えば、科学研究費、論文、外部資金等のデータである。そして、最終的に22機関(国立大学17、私立大学2、大学共同利用機関3)が採択され、10年間の研究環境整備費用が支援されている。(年2~4億円)採択が決まったときは学長室で手を取り合って喜びあったことを思い出す。「これで、本学の知名度は上がる」と期待したが、しばらくして期待は裏切られたと感じた。大学関係者以外は残念ながらあまり知られていない。開学以来、歴代の先生方が本学の知名度を上げることに腐心してこられたが、今なお道半ばである。
その後、博士課程教育リーディング大学院プログラム(H25~31年度)、スーパーグローバル大学院創成支援事業(H26~35年度)の競争的教育プログラムの採択と国立大学改革強化推進事業(H24~29年度)と合わせて、いわゆる4大事業が現在進行し、最も重要な時期である。
これらの予算は長くて10年であり、第3期中期計画期間中(平成28~33年度)に終了するものもある。いつまでも今の状態が続くと期待するのは難しい。これらの事業をもとに、今、大学の基盤を強くしておくことが必要である。各先生に配分される、いわゆる運営交付金は、年々1%削減が続いてきた。他大学では配分される予算は大きく減少している。本学でなんとか維持されているのは、大変恵まれてた状況です。これは、上記の大型プロジェクトによるところが大きい。運営交付金頼みだけでは研究が満足にできない厳しい時期が来ることを覚悟しておく必要がある。(西永学長時代から言われていたが) 既に他大学ではその様な状況である。各研究分野によって違いはあるであろうが、各先生方の教育・研究分野に即した研究室の運営努力が必要でしょう。本学のアクティビティーは最終的に皆さんの教育・研究成果の総和で決まります。先生方の教育・研究に対する強い「想い」を貫いていただき、これからの10年後の本学の発展を期待しております。そのために、皆様のお役に立てばと思っています。

(豊橋技術科学大学四十年史 世界に開かれた技術科学より転載)

Chapter5開学40周年を節目に産学連携強化で社会への持続的な貢献を!

同窓会 会長
古野 志健男(ふるの しげお)
[(株)日本自動車部品総合研究所]

同窓会 会長 古野 志健男豊橋技術科学大学が1976年の開学から40周年を迎えられたこと、心からお慶び申し上げます。私は、2013年11月第7代同窓会会長に就任致しました旧第3系(電気・電子工学系)第1期生の古野志健男と申します。合わせて、同大学の経営協議会、学長選考委員会にも参画させて戴いて居ります。
光陰矢のごとしと申しますように卒業して早34年が過ぎました。ぬかるんだ田んぼのような構内で入学したことが昨日のことのように脳裏に焼き付いています。1978年に我々1期生が入学して豊橋技術科学大学の運営が実質的にスタートしました。教職員と学生全員での手造り・手探りの学園生活で、苦労はあったものの自分たち全員で構築していくんだという自由度と高いモチベーションがあり、楽しかったことを思い出します。例えば、研究室の実験設備創り、学生会の発足、第1回技科大祭開催、同好会活動等全てがチャレンジでした。
一方、ここ数年間の豊橋技術科学大学は大きく変革され、プレゼンスも格段に向上してきたように思います。特に、文科省の「研究大学強化促進事業19大学」などに採択され、グローバルでアクティブに運営されています。
約半世紀前の小学生の頃、私が描いた21世紀のイメージは、優しく強い人型ロボットの鉄腕アトムが活躍し、空飛ぶクルマのスーパージェッターが宙を疾走するような夢の未来社会でした。その未来の21世紀になって早16年が過ぎ色々な分野で技術科学も大きく進歩はしましたが、我々の地球上では環境問題を始め多くの課題が山積みされていて、とても夢の未来にはなっていません。まだまだ技術科学によって解決できることは多いはずです。豊橋技術科学大学と我々同窓生は、様々な分野で常に新しい技術科学を探求し、日本や世界のために活躍したいものです。
さて、我々同窓生の輪をさらに広げて飛躍できれば社会への貢献となるのではないかとの想いで、会長就任から約2年半が経過しましたが、下記のように幾つかの取組みを役員の皆様方と大学にも協力戴き実施して参りました。
・Web上での名簿管理システムの構築
・同窓会運営の見直し
・大学との連携強化
・同窓会海外支部の設立
これらの取組みを如何に実効あるものにしていくかは、会員皆様のご理解とご協力が不可欠かと存じます。会社は違うけれども同じ地域で活躍されている同窓生もおられるかと思いますし、同窓生がご活躍されているアカデミアや企業間での仕事上のコラボも可能です。
この豊橋技術科学大学開学40周年を節目に、同窓会役員としましても同窓生の年次や系を越えた人脈形成やコミュニケーション強化など、同窓生の輪を広げて活性化を企っていきたいと思います。また、大学の最先端研究テーマとの産学連携を強化していけるようサポートしたいと思います。異業種分野にも皆様方のニーズに対する新しい技術シーズが隠れていることもあります。私は、30年ぶりに豊橋技術科学大学の研究状況を拝見し、新技術に繋がる最先端の研究テーマが多く非常にワクワクさせて戴きました。是非、皆様方も進化し続けている最近の豊橋技術科学大学を一度訪問されてはいかがでしょうか。
我々の母校が今後も持続的に発展し、大学も同窓生の皆様方もWin-Winとなり、大学と同窓生が世界の技術科学に貢献していけることを祈念して挨拶に代えさせて戴きます。

(豊橋技術科学大学四十年史 世界に開かれた技術科学より転載)

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天伯の発行をメールにてお知らせします。

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