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Chapter01

新キャンパス計画と新学生宿舎/地域協働まちづくりリサーチセンター 准教授 松島史朗(まつしま しろう)
まちづ くりの交流イベントにて筆者CMP、GEC、GDW、GBP・・・ただいま松島研究室では様々な3文字略語が飛び交っています。豊橋技術科学大学は開学後31年が経過し、キャンパスは建物の老朽化や、徐々に改修が進んではいますが耐震強度不足、教育・研究環境の変化、学生生活環境の改善等への対応を迫られています。こうした状況に対して、平成19年に30周年記念事業として、西永前学長のもと学生交流会館を整備したのを皮切りに、現在は榊学長の強いリーダーシップにより様々なプロジェクトが進行もしくは計画中です。各計画を順次推し進めていくにあたり、これからの30年を見据えた大学キャンパスの全体計画の根幹となるのがCampus Master Plan (CMP)です。CMP策定にあたっては、現状の問題点を抽出し、それらの解決方法を研究室で検討・提案し、学生生活委員会や大学施設課も交えたファシリティマネジメント委員会で議論したうえで執行部で決定するというボトムアップ型や、学長がビジョンを示されて進むトップダウン型等、プロジェクトごとにプロセスは異なりますが、主たる利用者である学生の意見も反映した、これまでにない全学的な取組になっています。

学生を対象にヒアリングを行ったところ、今のキャンパスは、全体的に大学らしい雰囲気が感じられず、活気が少ない寂しいキャンパスと受け取られているよう です。それらの原因としては、どこを歩いてよいのかはっきりしていないことや、建物群が揃って白色で判別しにくいこと、あるいは本来大学の顔である正面玄関や中庭の印象が薄いためであることがわかりました。以上のことから、「学生や教職員が勉強・研究・業務に集中でき、豊かで楽しい時間をすごすことのできるキャンパス」づくりを目標に掲げ、各プロジェクトに反映しています。本稿では、特に中心となる3つのプロジェクトであるGEC、GDWおよびGBPを紹介します。

以下主要なプロジェクトの略称
GEC: Gikadai Evolving Campus(進化するキャンパス), GGP: 同Gate Project,
GAP: 同Arcade Project, GBP: 同Bridge Project, GDW: 同Dormitory of Wisdom,
GSP: 同Sign Project, GLP: 同Lighting Project, GKK: Gakusei Koryu Kaikan
図2.中庭マスタープランA案:直線的なプロムナードを軸とした計画案

GEC(Gikadai Evolving Campus進化するキャンパス)
3つの中でもさらに中心的なプロジェクトで、キャンパスの中央に位置するセンターモールと呼ばれる中庭を一新する計画です。欧米の多くの大学では、クアッド(Quadrangle)と呼ばれる中央広場を中心に、それらを囲む形でキャンパスの中心部が構成され、多くは緑豊かでシンボル性のある"大学らしさ"を醸し出しています(図1)。それに対して、本学のそれはコンクリートとレンガタイルが主な材料で、歩く経路が複雑なうえにひび割れや大きな段差があり歩行しにくい部分があり、夏の照り返しも強くあまり有効に機能しているとは言い難い状況です。そこで、勉強や研究に疲れた目に優しく、時には寝そべって考えを巡らせることができるような、緑豊かで、どこへ行ったら良いか分かりやすい空間に進化させるべく現在デザインを検討中です(図2〜5)。これに加えて、各建物も区別しやすいように一部に色をつけ、さらに入居する各系を表示するバナー(旗)を取り付ける予定で(GSP)、これらは中庭に先駆けて平成20年度中に完成の予定です(図6〜9)。

GDW(Gikadai Dormitory of Wisdom 英知の学生寮)
中庭は時間をかけて段階的に整備される予定ですが、平成20年度中に完成する施設の内、主要なものの一つが新学生宿舎です。少子化を背景に学生の獲得競争が厳しくなる中、学生生活支援は大学経営の重要なポイントです。従来の学生宿舎の経年劣化と、入居を希望する学生の増加、そして何よりもこれまで少なかった女子学生をより多く獲得することを目的にこの新学生宿舎は計画されました。規模は鉄筋コンクリート造地上6階建てで、車いす対応の1室を含めた全96室からなり、約17uの個室にはバス・トイレにエアコン、IHヒーター付ミニキッチン、洗濯機置き場等が装備された魅力的な宿舎となる予定です。さらに安全安心には細心の注意がはらわれ、非接触キーにより、玄関のオートロックだけではなくエレベータも管理されています。松島研究室では企画の段階から設計にかかわり、施設課と協働して学生生活委員会等の意見も取り入れながら設計を進め、現在はデザイン監修として内外装の色や材料を決定する最終段階に入っています(図10〜23)。既存の他の宿舎も、インターネット敷設、エアコン設置など徐々に改良されていますので、学生が勉強や研究に安心して取り組める環境が整っていくことが期待されます。

GBP(Gikadai Bridge Project ブリッジ計画)
大学の講義棟であるA棟およびそれにつながるB棟以下の研究棟群と、対面する会計課と語学センターの間の往来は屋外を通らなければならず、特に雨天時などは不便でした。また、大学は海に近い小高い丘に位置しているため風が強く、そのような日の移動には辛いものがあります。このため両側の棟を結ぶ渡り廊下、通称ブリッジの建設の要望が高まり、Gikadai Bridge Project (GBP)がスタートしました。このブリッジは、大学の玄関であるロータリーからアプローチするときに頻繁に通ることになるため、大学の顔としてのシンボルとして、技科大らしさを表現する高いデザイン性が望まれました。また、将来的に中庭も整備されるので、それと調和したデザインとすることが必要でした(図24〜29)。

このブリッジはその2枚の翼が広がったような形状から、研究室ではWings of Courage(勇気の翼)と呼んでいます。建築デザインを学ぶ学生は通常の建築設計課題では課題が与えられ、それを対象としてデザインし図面を描きますが、今回の一連のプロジェクトでは、大学施設を実際に設計するという現実かつ身近であることに加えて、責任のある課題ですので、実際に敷地を見て提案し、施設課と打ち合わせを行い、施工現場を経験するという建物をつくるプロセスに立ち会うことになります。「描くこと」から「つくること」を経験することは、これからの技術者に求められる専門性の獲得と同時に、実社会で現実の問題に直面したときに勇気を持って立ち向かえる、社会人としての基礎力の育成のまたとない機会となっています。これからも技科大キャンパスは、学生を含めて利用するみんなの思いやエネルギーを得て、進化していくと期待していますので、皆様にもぜひ見守って応援をお願いいたします。
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Chapter02

豊かな自然環境の中での活動拠点「三河コンヴェクションアカデミー」紹介/特別顧問 名誉教授 松爲宏幸(まつい ひろゆき)

三河コンヴェクションアカデミーの拠点施設「三河コンヴェクションアカデミー」とは、訳のわからない名前だと思われる方も多いと思いますがその説明は後回しにして、本学関係者のできるだけ多くの方々にこの施設を積極的に利用していただきたく、ここに紹介したいと思います。

三河コンヴェクションアカデミーは、本学と愛知大学が共同で東三河地域を対象とする総合的な学術研究を行うための組織名称ですが、その活動拠点の中心となる施設の名称としても用いることとしています。この施設は、新城市鳳来地区七郷一色字六本松35番地、静岡県との県境に近接した標高500m弱の小高い山の中腹にあり、足元に茶畑を挟んで七郷一色の村落が俯瞰される、非常に眺望・自然環境に優れた立地にあり、近くには東海自然歩道、百間滝、大島ダムなどもあります。旧鳳来町立、七郷一色小学校校舎の教室・職員室、校長室などを平成17年度に改装し、30人程度のゼミ・研究会などが可能なミーテイングルーム4室、和室3室(15畳2室、10畳1室)、食堂、浴室、調理場などが敷設され、立派な体育館、運動場などもあり、研究会や研究室・クラブ合宿などに最適の施設といえます。

施設付近を流れ落ちる滝(百間滝)建物は新城市の管轄にあり「新城市鳳来地域間交流施設」が正式名称で、一般市民向けの文化施設として定義されていますが、平成18年4月1日に新城市と豊橋技術科学大学との間で取り交わされた連携協力協定の中に、本学地域連絡協議会と新城市との間で本施設の有効利用のための方策を積極的に協議することが明記されています。

本学関係者は地域間交流、学術研究などの目的であれば利用が可能であり、新城市民と同額の安い料金で利用が可能です。ただし、消防法の関係で宿泊施設としての正式認可は受けていませんので複数日にわたって連続利用を希望する場合、深夜利用という形式で利用希望書類を提出することになります。また、宿泊用寝具は自分で用意するか、専門業者に依頼しなければなりませんが、上述のように自炊の設備を完備し大きな浴室もあり、快適に宿泊できる環境です。

三河CA周辺ことの発端は平成14年度に、この小学校が地域の児童数が減少したため廃校とされたときに、地元七郷一色村の象徴でもあり、文化活動や体育館の利用のための拠点施設として何とか存続させて欲しいという強い希望が地元の方々にあり、本学に地域間交流の学術的拠点として利用法を考えて欲しいとの依頼が来たことから始まりました。平成15年、当時の西永学長も現地を視察し、現地の住民の方々とも話し合いの機会を作られたことを契機として、平成17年9月21日に本学、愛知大学、当時の鳳来町の3者間でこれを共同利用施設として活用するための協定調印が行われ、本学は未来環境エコデザインセンター、地域協働まちづくりリサーチセンターがそれぞれ鳳来分室をここに設置し、愛知大学は三遠南信地域連携センター鳳来分室を設置することなどの活動内容に関する取り決めがなされました。国有財産を利用し、また改装するための助成を得るためには、本施設の利用目的が学術活動であることが必要とされたため、これら鳳来分室をまとめて、表題にある「三河コンヴェクションアカデミー」と名づけ学術研究・地域協働活動を合わせて実施する拠点としました。その後引き続いて行われた新城市と鳳来町の合併により、名目上本施設は新城市の市民文化施設として引き継がれることにはなりましたが、施設利用の基本精神は最初の鳳来町との協定内容をそのまま継続することとして合意され、これまで本学・愛知大学共同主催の地域交流セミナー(ウィークエンドセミナー)の2ヶ月毎の定期的開催、大気環境研究のための測定装置の設置などの学術活動が三河コンヴェクションアカデミーの名の下で実施され、また研究室合宿や少人数の学術会議会場としても利用されています。

学外に活動施設を持たない本学にとってもこのような施設の存在は大変有意義ですから、これから新しい学術活動の研究拠点として利用されたり、研究室合宿やサークル活動の合宿など、この協定の趣旨である地域活性化に合致しますので、多くの方に積極的に利用していただきたいと希望しています。


※「コンヴェクション」とは、「対流」を意味し、地域・人との交流・連携することを表しています。

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Chapter03

大学キャンパスの変遷/名誉教授・元建設工学系教授 中村俊六(なかむら しゅんろく)
筆者(エコロジー工学研究棟屋上にて)



大学に降った雨は、梅田川を経由して、太平洋にではなく三河湾に流れ下る(図-1)。このことはほとんど誰もが知っている。だが、その水が大学を出る前に、まずはキャンパス内の調整池(防災調節池)に集まることを知る人は少ない。







図-1 国道23号線の豊橋東バイパスから見た大学

キャンパスの変遷調整池とは、大学に降った雨が外に一気に流れ出ぬように抑制するための池である。大学キャンパスの面積は355,606m2。1977(昭和52)年、緑豊かな林に覆われて高い保水力を持っていた天伯台地の、これだけの広さが切り開かれて大学キャンパスになった(図-2の一番下)。雨水が浸透しにくく、表面を流れやすい土地に変わって、そのままでは浜田川や梅田川への降雨時負荷を増大させ、下流を危険にさらしかねない。調整池はこの負荷を軽減するためのものであり、だから、キャンパスに最初にできたのは調整池、そして、開発当初は全部で6つもあった。

ご存知のように、大学の開学は1976(昭和51)年。第1回入学式は1978年。この間キャンパス内には次々と建物が建設されたが、最優先は福利施設、ポンプ室、エネルギーセンター、生活廃水処理施設、学生寄宿舎、そして講義棟(図-2の下から2番目)。

最初の卒業生を送り出し、そして最初の大学院生を迎え入れたのは1980年。学内の建設ラッシュはピークを迎え、大学院から第1期生を送り出した1982年頃には、キャンパスは見違えるように立派なものになった(図-2の下から3番目および図-3)。図3 (上から)学内建物延面積の変化、建物配置図、および教職員数と学生数の変化

1986年、キャンパスは開学10周年を迎えてしばし落ち着きと静けさをとり戻し、博士後期課程もできた。つぎの10年間には、それまでの6課程に新たな2課程が加わって研究棟が増えるとともに、新たな研究施設やセンターが建てられて、研究施設が益々の充実をみた(図-3)。

そして2004(平成16)年、大学は「国立大学法人」豊橋技術科学大学となり、「ダイナミックで機動的な運営」を実施すべく、組織や体制が一変した。合言葉は「改革から飛躍へ」。気が付けば開学30周年も過ぎた。


今現在の大学キャンパスがつぶやいている(図-2の一番上): 耐震補強工事が一段落したら、わたしはこのさきどうなるの?

ここにひとつのマスタープランがある(図-4)。「昭和53年度・豊橋技術科学大学概要」に記載された、大学の「完成予想図」である。


今こそ、これとは違う新たなマスタープランを作るときだろう。図4 1978年頃のマスタープランできれば「みんなで話し合って」ではなく、ただ一人の、信頼できるプロに依頼して作るべきである。その際、是非とも、現在でもまだ3つ残っている調整池のいくつかを、水を湛え、散策路を備えた美しい池にしてほしい(図-5)。

多くの大学がそうした池を備え、愛称を付けて活用しているが、だから、というわけではない。大学キャンパスはこれほど変わったが周辺は何も変わらず、いまだに娯楽施設のひとつもない。図5 水を湛えた調整池を、エコロジー工学研究棟の屋上からイメージ

改革を飛躍へと繋ぎたいなら、まずはいっときのやすらぎや、頭を冷やす場所が要るのではないか、と思うからである。
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