1.3 「黄表紙」と「青表紙」 『技術科学系の新高等教育機関構想に関する調査会』が昭和 48(1973)年に発足し、5 月以来審議を重ね、昭和 49(1974) 年 3 月に、文部省大学学術局長宛に『報告書』が提出された。表紙が黄色であったので、後の青色表紙と区別して通称 『黄表紙』と呼ばれるものである。 1.3.1 技術科学大学院-いわゆる黄表紙 高等専門学校側からの「袋小路」打開の方策としては、a)大学の編入学の門戸開放、b)専攻科設置と大学院への 接続があった。「専攻科」の問題と「編入学」問題を同時に解決する延長線に、「技術科学大学院(仮称)」構想が生ま れていることになる。 『技術科学系の新しい大学院の構想について』と題した報告書は、前文において「この報告書に述べた構想については、 今後、法律上の制度としてのこの高等教育機関の位置づけを明らかにしたうえで、更に検討する必要がある」と付言し ているが、法律上の問題とは、「学校教育法」の改正のことである。「学校教育法」の第 1 条は、「学校」を「この法律で、 学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする」と定義し ている。したがって、高専卒業生を 4 年間一貫教育しようとするこの「技術科学系の新しい大学院」は上記の定義の学 校のいずれにも属さず、昭和36年に「高等専門学校」を追加規定したように、学校種別としての「新しい大学院」も 定義しなければならない。このことが『新構想大学』としてのこの大学院の最大の難関となってくる。 1.3.2 技術科学大学の構想-いわゆる青表紙 学部 3、4 年次と修士課程の 2 年を結合した新構想大学は、「学校教育法」の定義する学校の種別にはなく、法改正が 必要であり、国民教育のための一般的な枠としての学校種別にこの「技術科学大学院」を新設することは極めて困難で あったため法改正は見送られた。 昭和 50(1975)年 8 月、文部省は予算省議において「技術科学大学院(仮称)」を「技術科学大学(仮称)」と改名し た。複線の延長を意図した構想から、幹線の「大学」の枠に繋がることを余儀ないこととした。高等専門学校卒業生を 編入させるという基本線は維持するので、1年次入学生の数は少数となり、「高等専門学校と同様、後期中等教育段階で 実際的な技術教育を実施している工業高等学校の卒業生にこの大学への進学の道を開く」(『青表紙』)と、附加された。 昭和 37(1962)年に枝分かれした高等専門学校の延長・複線化構想は、昭和 50(1975)年度に幹線への回帰となり、 高等学校からも学生を受け入れることによって、「一般大学」への接近の要素を内包し、実質は高専の延長、見せかけ は一般大学という変貌をとげた。この変貌は昭和 51(1976)年 2 月の「技術科学大学の教育課程、施設等に関する調 査研究会議」の報告書、『技術科学大学の組織、教育課程、施設等について-まとめ-』(いわゆる『青表紙』)の第1 章「基本構想」に見ることができる。その内容の一部を以下に引用する。 4 豊橋技術科学大学五十年史
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