1.開学まで 本学の「開学まで」の経緯については、10、20 年史に詳述されており、その内容を踏まえて 30、40 年史にまとめら れている。ここでは 40 年史の内容を再掲・編集する形で記述する。 1.1 高等専門学校(高専)の成立-単線から複線へ 戦後の教育改革は、1. 学校体制の単一化、2. 男女差別の撤廃、3. 義務教育期間の延長、4. 教育の機会均等、5. 学校 教育の拡大、を図ったもので、国民教育の水準を飛躍的に向上させることに成功した。しかし戦前における工業学校お よび高等学校が担っていた中堅技術者の養成という部分は欠落し、戦後の復興期後の科学技術の進歩に対応した技術者 の社会的需要には即応できなくなっていた。昭和 33(1958)年には専科大学案が国会に提出されはしたが、ようやく 地歩を固め始めた短期大学制度との調整ができず、審議未了を繰返し、結局、1. 義務教育終了後の5年間の一貫教育、 2. 工業に限ること、3. 目的を、専科大学案の「実際生活に必要な能力の養成」から「深く専門の学芸を教授し職業に必 要な能力を育成」(学校教育法第 70 条の 2)に変更すること、により、昭和 36(1961)年 6 月、法律第 144 号と第 145 号として『学校教育法の一部改正法律案』が成立し、単線型の 6・3・3・4 から、6・3 の義務教育の後に 5 年制の高等 専門学校が枝分かれし、複線化した。 翌昭和 37(1962)年 4 月、『国立学校設置法の一部改正』により、第一期 12 高専が設置された。以後、昭和 49(1974) 年度までに商船高専や電波高専を含め、国立のみで 54 校の設立をみた。さらに平成 14(2002)年度、沖縄高専が開校し、 法人化後は、平成 21(2009)年度の 4 高専の高度化再編を経て、全国 51 校 55 キャンパスの国立高専が一体と成った、 独立行政法人国立高等専門学校機構として、公立3校と私立3校を合わせて、毎年多くの卒業生を社会へ送り出している。 昭和 40(1965)年には高専の第一期校に 4 年生、第二期校に 3 年生と高学年ができ、進学問題が切迫してきた。社 会の要請に応えて、義務教育終了後の15才から単線型教育体系に枝分かれを付け、戦前型の複線への回帰を思わせた 高等専門学校は、進学の問題において単線への接続という障害にぶつかることとなった。しかし幹線への接続問題は、 一方では、「完成教育」である高等専門学校の存在意義にもかかわる問題であり、高専が大学へのバイパスとなってし まうことはその存立意義にもかかわってくる。単なるバイパスにもならず、かつ進学問題を解決する方策が当時必要と なってきた。このような背景のもと高専卒業生に限って入学できる新構想大学院大学の創設が検討され始めた。 1.2 技術科学大学院(仮称)構想の経緯 国立高等専門学校協会は『新構想大学推進特別委員会』を設置し検討を重ね、昭和 47(1972)年 3 月の協会臨時総 会において、下記のような「要望書」を文部大臣に提出することを決議した。本学の設立にとって重要な文章であり『、技 術科学』という用語の使用例第 1 号なので、この「要望書」「別紙」(「技術科学大学院(仮称)の創立について」)を、『国 立高等専門学校二十年史』から引用しておく。 2 豊橋技術科学大学五十年史
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