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第12回 竹中 征夫 氏 『グローバルに進出する日本企業の課題』 3/7ページ

海外に出ることはチャンスである

私が日本の企業の皆さんに言うのは、日本の可能性は今後非常に厳しいという理由で海外へ出るのはいいのですが、出るときにはそんな悲壮な気持ちではなく、世界にものすごく大きなマーケットとチャンスがあるという前向きな姿勢でいてほしいということです。すると、いろいろなことが開けてきます。特にアメリカです。アメリカは人口も多い、マーケットも大きい、市場も非常にオープンで、よそのものをみんな取り入れる、それだけの度量があります。同時に、アメリカのよさは、私がアメリカへ行ったときには日本人だということで差別されましたが、いまは偏見がないのです。いま、アメリカは人種のるつぼです。非常におもしろいのは、ロサンゼルスにリトルトーキョーという、昔日系人が住んでいた町があるのですが、日本人が、バブル崩壊のあと撤退し、それこそどうなるのだろうと思うほど、人も来なかったのです。ところがいまや、週末など歩けないぐらい観光客や現地の人が来ており、そこで皆さん日本食を食べるのです。皆さんがそこで「素晴らしい」と喜んで食べているのは和食なのです。

同時にアメリカは、非常にオープンなマーケットです。日本と違ってすごいのは、売れ筋をつくると、同じものを置いておけばずっと売れるのです。私のクライアントで東洋水産があります。その会社は日清のあとを追ってアメリカに進出し、マルちゃんラーメンという袋麺とカップ麺を売り出しました。大変苦労はしたのですが、私は社長の森さんが来られたとき、「いいチャンスではないですか」と言い、森社長も気をよくして帰られ、そして「アメリカ人の社長を雇った」と私のところに来ていただいたことがありました。そのときに、彼が雇った社長がアメリカ人でした。しかしその社長は、私は名前だけを知っていました。この方は、ある日系企業でものすごく悪いことをたくさんおこない、キックバックなどを取ってよくないことをして、辞めて自分でコンサルティング会社をつくっていた社長でした。森社長がその方と会い、ある広告会社から推薦していただいたので、その人を雇ったわけです。私はそのとき「いや、森さん、この方は私の友人が彼の下に仕えていて、「こんなひどい人はいない」と言っていました、絶対に辞めたほうがいいですよ」と言いました。しかし、広告会社の推薦もあり雇ってしまい、「これでやってみます」と話を進めたのです。そして2年半経ちましたら、森社長が私のところに来て「竹中さん、申し訳ない。あなたの言うとおりになった。大変なことになっている」と。「東洋水産はその間に上場してしまったので、いまさらこのまま帰れない、何とか立て直しをしなければいけないから手伝ってくれ」ということで、森社長と私、それから当時三井物産の副社長をやられていた後藤達郎さん、この方は(豊橋市の)二川(地区)の出身なのですが、この3人で立て直しをやったのです。

実は、私が言ったことがヒントになりました。森社長は一生懸命やっても、日清が台頭していて、アメリカのスーパーの東洋の食品コーナーも全部カバーしてしまっている。では、そこで戦うより、アメリカの主流に売るようにしましょうと。つまり、アメリカのスーパーにアメリカの食品として売ろうと進言したわけです。ここで森さんにも素晴らしいアイデアが生まれました。「わかった、竹中さん。チャレンジしよう」と。しかし、アメリカのスーパーで東洋の食品のコーナーに置いていたら絶対に売れない。だから何をしようかと。彼は昔キャンベルスープと合弁会社をつくっていたことがあったので、キャンベルスープが並んでいるところと同じようにマルちゃん商品を並べようと。そこでセールスマンを全部アメリカ人に替え、アメリカのスーパーに置きました。そこで売れるようになり、30年前に紹介した商品、先ほど日本の食品はしょっちゅう新しい商品を開発しなければいけないと言いましたが、マルちゃん商品は30年前の袋麺とカップ麺、全く変わっていないのです。置いておけば売れるのです。それほど、まだ、アメリカには可能性がある、競争がそれほど激しくないのです。

この間、私は長野県の味噌屋さんのアメリカ買収のお手伝いをしました。そこでわかったことは、アメリカで売る味噌の値段は、日本でその会社が売る味噌の値段の倍だということです。やはりアメリカの市場の豊かさ、可能性が、これだけ厳しい日本で競争してきた企業にとっては非常によいチャンスだと思っています。必ずそれをものにできます。そういう意味で、私はぜひ、日本から出て、特にアメリカに進出してほしいと勧めます。

海外に出て根っこを見る

先ほど、海外に出ると日本がよく見えると申しました。私は海外に出て1つ身に付けたことがあります。日本にいるとどうしても枝葉で物事を判断してしまいます。海外に行きますと根っこを見られるようになるのです。日本を客観的に見ますから、日本もよく見えるようになります。

もう1つ大切なのは、自分の考え方を持てるようになるのです。日本の方と話していると、ほとんど皆さん、同じ意見です。最後にトランプ新大統領の話をするつもりですが、ご存じのとおり、トランプ大統領の選挙のとき、ほとんどのアメリカメディア、95%のメディアがヒラリー・クリントンさんを推していて、トランプ氏には反対だったのです。それでもアメリカ国民は、半分ほどトランプ氏を支持しているのです。私が9月に日本に来たとき、たまたまNHKのテレビを観ていましたら、日本人の世論調査をしていました。「誰が次の大統領になりますか」という話が出まして、85%が「ヒラリーさんでしょう」と。5%がトランプ氏でした。つまり、結局日本人はメディアの言っていることをそのまま鵜呑みで信じてしまうわけです。自分で考えず、それを取り入れてしまうのです。だからそういう極端な結果が出るのです。これは、私は将来、日本にとってマイナスになると思います。やはりひとり一人の日本人が自分の考えを持つようにならなければいけないのではないでしょうか。これは日本ではなかなか難しい。しかし、外に出ると、だいたい皆さん、そういう意見を持つようになります。自分の意見、自分の考え方をはっきり言えるようになるのです。

同時に、海外に出るといろいろなよい出会いがあるのです。特にアメリカの場合、昨日もテレビに出ていましたノーベル賞の大隅教授も、出会いはアメリカの大学でした。多く、日本で商売をして成功している企業の方たちを見ても、実は、ヒントは海外で得ているのです。豊橋に近い浜松に私のクライアントで、親しい丸八真綿という会社があります。この会社の岡本八二さんという方は、お父さんから商売を受け継いだのですが、会社を倒産させてしまいました。大変苦労され、東京に出て寝具の訪問販売をしました。そこで彼が気づいたのは、「店で待っていると、お客さんが来ないと売れない。しかし、訪問販売だと自分から攻めていくから売れるチャンスが増えるのだ」ということでした。それを信じて彼は布団の訪問販売を始め、うまく行き始めたのです。

次に彼は、海外に出張していろいろ勉強しようということで、ペガサスというコンサルティング会社が東京にあるのですが、その人たちに連れて行かれ、北欧を訪問しました。そこで丸八真綿は羽布団に出会うのです。こんなに軽くて、こんなに暖かい布団がある。彼はその商品をぜひ、日本で売りたいと思いました。それをつくるために、スウェーデンでは羽布団をつくる自動的機械があるのですが、彼はその機械を輸入し、羽布団にどんどん替えていったのです。絹の外側と中の羽で新しい布団がつくられたのです。それが大ヒットし、彼は丸八真綿という非常に大きな会社として成功させたのです。このヒントも、実はスウェーデンです。ご存じのように、イトーヨーカ堂やイオンの人たちも、スーパーマーケットなど、あるいはマクドナルドのハンバーガー、デニーズ、全て海外から持ってきています。つまり、海外でひらめくことがたくさんあるわけです。そういう意味からも、海外に出ることは非常に大切です。

私が日本を出るとき、いつも言われたのですが、非常にシャイな人間でした。しかし、アメリカで鍛えられ、非常にたくましくなりました。外に出ると、外と戦いますから、どうしても強くならざるを得ない。日本はいま、過保護なのでひ弱になっているのです。そういう意味からも、ぜひ、皆さんには海外に出て行っていただきたいと思っています。

海外で成功するためには

日本の可能性と海外の可能性を比べますと、海外のほうが、これから圧倒的にビジネスチャンスがあると思います。海外で成功するために何を考え、何をしなければいけないでしょうか。そのことについてお話ししたいと思います。

まず、海外に出るとき、一番大切なことは、己を知るということです。自分のことを知る。私たちは自分のことを知っているつもりでも、意外と知りません。己を知るということが最初のステップです。

ハーバードがMBAの課程と同時に、SWOT分析を発明しました。SWOT分析ということをご存じでしょうか。聞いたことがありますか。これは頭文字です。Sは Strengths、強さです。Wは weaknesses、弱さ。Oは opportunities、Tは threats、脅威、これをSWOTと呼びます。アメリカでは、企業にこのSWOT分析をするべきだと言います。まず、自分の強さを知ること。弱さを知ること。その中でどういうチャンスがあり、どういうリスクがあるかを分析することが、会社の将来のビジョンをつくり、方向付けをすることに一番役立つということで、アメリカではSWOT分析がいつも使われています。

私は、アメリカへ行ったとき、ハーバード大学より先にこのSWOT分析をしていました。15歳で渡米し、英語がわからない、何もわからないところにポンと放り込まれたわけです。その中で自分を失わないために、何か自分にも強さがあるだろうと考えました。そこで見つけたのが数学でした。当時、日本の数学教育はアメリカよりもはるかに進んでいました。私は理系ではないのですが、算盤1級を取っていました。暗算ができました。これが強さだと思ったのです。ほかに強さがあるかというと、何もありません。しかし、弱さはたくさんあるわけです。英語ができない、国のことを知らない、女性も口説けない。しかし、その中で、そのシチュエーションに応じて自分の強さを意識することがアメリカでは非常に大切だったのです。アメリカは非常に狩猟民族の社会ですから、日本のように弱さを改善することが弱いのです。「強さを伸ばしなさい、あなたの強いところをどんどん伸ばしなさい」と。ただ、弱さは無視してはいけない。弱さをどうやってカバーするかと。ですから、平均になることをアメリカでは勧めません。要するに、強さを強めろ、アグレッシブに、積極的にということです。そうしないと、ほかの人と勝負しても勝てないわけです。しかし、弱さは放っておいてはいけない。自分で少しでも勉強し、弱さが普通になるようにカバーするか、自分でできなかったらほかの人の力を借りなさいと。そういう前提で自分のオポチュニティーをつくりなさいと。それが アメリカのSWOT分析です。

私は、実を言えば、それを自分でやっていたのです。一番強いのは数学だと。その頃、ソ連とアメリカが月に行くことで競争していましたから、大学も、理工系はみんなエンジニアでした。しかし、私は理工系ではないので、ノン理工系に行く、そして、考えました。一番英語を使わず一番数字を使うところが会計学だったわけです。そこで会計学を選び、そのおかげで4年間大学に通い、会計科目は首席で卒業できたのです。しかし、卒業したとき、実を言えば、私は就職がなかったのです。大きな公認会計事務所は全く私を雇ってくれませんでした。なぜかというと、やはり私の弱さがまだカバーされていませんでした。強さが活きる社会ではなかったのです。仕方がないので、私はジェネラル・エレクトリックという大会社に決めようとしました。すると、大学の先生が「違うよ、アメリカでは資格を持つほうがいい会社に就職するより大切なのだよ。だから、公認会計士の会社に勤め、少なくとも公認会計士の資格を取りなさい、経験しなさい。そうすれば、あなたが5年後、公認会計士事務所を辞めて、中途採用で行ってみなさい。最低給料はそこで始まったより倍の給料がもらえますよ」とアドバイスを受けました。

ということで探しているときに、たまたまKPMGという国際会計士事務所の1つがありました。そこは日本に事務所があり、海外の事業と組むために、私が行っていたユタ大学ではなく、モルモン宗教の大学のBYUという大学にリクルートに来ると聞きました。なぜかというと、モルモン教は全部、海外に宣教師で行かなければいけないのです。宣教師で行った人たちはその国の言葉を覚えてくるわけです。日本に行けば日本語、韓国なら韓国語、中国なら中国語、スペインならスペイン語ということで、語学ができたものですから、そこにリクルートが来ていたのです。そのときに、私には仕事をくれなかった某会計事務所の人が、「国際関係のリクルーターが来るから、お前、会ってみるか」と言ってくれました。私も失うものもないので「ぜひ、会わせてください」と、ソルトレークシティの空港でお会いし、そこで運よく仕事をもらい、ロサンゼルスのKPMGに就職しました。

入ると、当然非常に競争の激しい職業ですから、上に上がるか、首にされるか、どちらかで、それが毎年起こるのです。

4月15日、税務申告が終わったときに首切りが始まるわけです。これはほかの会計事務所も同じでした。私は運よくそこを乗り切り、乗り切ったときに、ちょうど日本の企業が進出してきたのです。1年で首になると思っていたけれど、8年でパートナーになったのです。パートナーというのは共同経営者です。通常これには13年かかります。では、なぜ私が8年でなれたかというと、運がよかったことと、SWOT分析をしていたからです。日本の企業が少し出だしたときに、SWOT分析をして、「あ、はじめて日本語が役に立つ、これを開拓しよう」と思い、誰もいない小さな日本企業の進出を私は自分で開拓し始めました。そうしましたら、日本企業がどんどん大きくなりました。自慢ではないのですが、ロサンゼルスに出てきた日本の銀行が23行ぐらいありましたけれど、いずれも私の顧客になりました。また、マツダ、ホンダ、日立製作所、三菱電機、TDKといったところが全部私の顧客になったのです。

なぜでしょうか。単純なのです。それまで日本の会社は海外に子会社をつくったことがないのです。営業所があり売り込みをやっていたのです。しかし、子会社をつくると、やはり財務、経理を見る人が必要です。そのような人たちはそれまで海外に出たことがない、はじめて出るわけで、全く英語ができません。ですから、私の下手な日本語でも、通訳してくれる人がいることは、彼らにとって救いの神だったわけです。私もそこのところでただボーッとしていたらチャンスはつかめなかったと思います。しかし、いつも私はSWOT分析をしていました。自分の強さ、弱さは何だろうと。この強さ、弱さは、環境が変わると、時代が変わると変わっていくのです。それをいつもやっていたので、私はこのチャンスをつかんだのです。ですから、通常13年かからないと絶対にパートナーにはなれない、また、パートナーになれるのは就職した人の1割未満でしたが、それを私は8年で成し遂げました。

8年目に、私は早すぎるから、トップのパートナーに会いに行き、「どうして私を8年でパートナーにするのですか」と聞いたのです。会社がなぜ私をパートナーにするのか知りたくて聞きに行きました。そうしましたら、そのトップの方が私に言ったのです。「お前、私もいままでパートナーにした人が何人もいるが、「どうしてこんなに早くなれたのですか」と聞きに来たのは君だけだ」と。みんな「やっとだ」「長くかかりましたね」と言ってパートナーになるというわけです。「そんなことを聞きに来たのはお前がはじめてだ」と笑われました。しかし、そのとき彼が言った言葉に、これが狩猟民族の社会のアメリカなのだとわかったのです。「お前はマネージャーでこれだけの仕事を取ってきた。だから、パートナーになったらもっと取れるだろう。もっと取ってこい」、これは非常にアクティブ、ポジティブな角度からの私への説明でした。また、ネガティブにはもう1つありました。「お前をこのままにしておいたら、必ず誰かに引き抜かれるか、お前自身が独立してしまうだろう。でも、パートナーにしてしまえば簡単には抜けられないだろう」と。それで私はパートナーになったのです。そこに私はアメリカのすごさがあると思いました。

講義の様子

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