文字サイズ
検索

News & Topics

ホーム > News & Topics > 4月15日に日本学術会議会長の大西隆氏を講師に迎え、榊プロデュース第25回プレステージレクチャーズを開催しました。

4月15日に日本学術会議会長の大西隆氏を講師に迎え、榊プロデュース第25回プレステージレクチャーズを開催しました。

イベント報告 | 2013年4月26日


 

 

 

 

s-prestige_oonishi1.jpg

大西隆日本学術会議会長

 
     
  s-prestige_oonishi2.jpg講演の様子  
     
  s-prestige_oonishi3.jpg  
  会場の様子  
     

4月15日に、日本学術会議会長の大西隆氏を講師に迎え、『東日本の復興から都市・地域の未来を考える』と題して、榊プロデュース第25回プレステージレクチャーズを開催しました。

 

大西氏は講演冒頭、大学院を修了してから長岡技科大で7年間教員を務めたが、夜遅くまで大学で研究に取り組んでいる学生が多く、非常に刺激になった、教え子には各方面で活躍している者もおり、技科大生には良い印象を持っていると述べられました。


また、自身の日本学術会議の会長職についても触れられ、会長には会員による互選により選ばれるが、東日本大震災の体験は研究者にとっても非常にショックな出来事であり、学術会議としても立て直しが必要だという意識が高まり、会長に選ばれたと思っているとも述べられました。


講演では、東日本大震災は、地震や津波によって多くの犠牲や被害が生じ、科学者の信頼を損ねたが、教訓として「減災」の考え方の重要性が認識されるようになってきており、「防災」が災害を防げるという考えに立つのに対して、「減災」は災害を完全には防げないのでなるべく減らそう、財産に被害が生じても最低限人命は守ろうという考え方であると述べられました。例として、三陸地方では、明治時代から今回も含めて4回の大津波が襲い、多くの死者を出してきたことを挙げ、明治29年の明治三陸地震の時は国力が無かったため復興は個人に委ねられたが、昭和8年の昭和三陸地震の後は国の音頭により高台移転が進められたこと、さらに、昭和35年のチリ津波の後は防波堤、防潮堤の建設が行われたが、これに伴いかつて高台避難で放棄した場所を使えるようにしたことが今回あだとなったこと、岩手県宮古市田老は、昭和三陸津波の後に防潮堤を造り、チリ津波の後にさらに外側に防潮堤を造ったが、今回の津波で200人位が亡くなったことを紹介されました。


南海トラフ巨大地震についても言及し、国が公表した地震被害推計によれば、最悪の場合、32万人の死者が発生し、220兆円の経済被害が発生すると想定されていること、この被害を減らす上で、科学者、技術者の役割が大きいと考えており、豊橋技術科学大学を含めて地域の拠点大学に大きく貢献していただきたいと述べられました。日本学術会議でも減災対策を提案しているが、各論的にはそれぞれの地域でどのような対策が必要なのか考えていく必要があるとも述べられました。


減災対策を進めていく上で、私たちは難しい時代に生きていることも承知しておかなければならず、日本の都市化が大きく変化している中、将来的に人口が7割程度に減少することは避けられません。

 

大西氏は最後に、人口が減少し、経済活動が減っていく中で、防災対策、減災対策を行わなければならないのは大変だが、ここに取り組んでいく事が科学者、技術者の大きなテーマになると考えているので豊橋技術科学大学の学生に期待している、日本の大きな展望を見いだしていって欲しいとエールを送られました。

 

ページトップへ